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大阪高等裁判所 昭和61年(ネ)907号 判決

控訴人(原告)

山本修三

被控訴人(被告)

山本洋二

ほか一名

主文

一  原判決主分第一項を次のとおり変更する。

1  原判決添付別紙記載の交通事故に基づく控訴人の被控訴人らに対する損害賠償債務は存在しないことを確認する。

2  控訴人のその余の本訴請求を棄却する。

二  原判決主分第二ないし第五項中控訴人敗訴の部分を取り消す。

三  被控訴人らの反訴請求をいずれも棄却する。

四  本訴についての訴訟費用は第一、二審を通じこれを一〇分し、その一を控訴人のその余を被控訴人らの負担とし、反訴についての訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人らの負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人

(一)  原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

(二)  主文第一項1及び第三項と同旨

(三)  訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人らの負担とする。

2  被控訴人ら

(一)  本件控訴を棄却する。

(二)  控訴費用は控訴人の負担とする。

二  当事者の主張

次のとおり訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決三枚目裏二行目から同四枚目表二行目までを次のとおり改める。

「1 原判決添付別紙記載の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

2  控訴人は、本件事故の発生につき過失があるから、民法七〇九条により、被控訴人らに損害があれば、その賠償をすべき責任がある。

3  しかし、本件事故は、控訴人運転の普通乗用自動車(以下「加害車」という。)が時速わずか二ないし三キロメートルの速度で、停車中の被控訴人山田高寛(以下「被控訴人高寛」という。)が運転し、被控訴人山田洋士(以下「被控訴人洋士」という。)が助手席に同乗する普通乗用自動車(以下「被害車」という。)に追突したというものであるから、その際の衝撃は極めて軽微であり、被控訴人らが傷害を負うようなことはあり得ない。

4  ところが、被控訴人らはいずれも本件事故により傷害を負つたと主張し、控訴人に対し、右各傷害に伴う損害賠償金の支払を求めている。

5  よつて、控訴人は、本件事故に基づく控訴人の被控訴人らに対する損害賠償債務が存在しないことの確認を求める。」

2 原判決四枚目表四行目から同七行目までを次のとおり改める。

「1 請求原因1及び2は認める。

2 同3のうち、控訴人運転の加害車が停車中の被控訴人高寛が運転し、被控訴人洋士が助手席に同乗する被害車に追突したことは認めるが、その余は争う。

3 同4は認める。」

3 原判決四枚目表一一行目及び同六枚目表五行目の各「原告車両」を「加害車」と、同四枚目裏一二行目、同六枚目表末行、同裏三行目及び同八行目の各「事故」を「本件事故」とそれぞれ改める。

4  原判決一三枚目(別紙)七行目の「洋士」を「高寛」と、「高寛」を「洋士」とそれぞれ改める。

三  証拠

原審及び当審訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  控訴人の本訴請求(債務不存在請求)について

控訴人主張の請求原因1及び2については、当事者間に争いがなく、本件事故による控訴人の被控訴人らに対する各損害賠償債務は、後記二で述べるとおり存在しないと認められるところ、被控訴人らがそれぞれ損害賠償債務が存在すると主張していることは、本件訴訟上明らかである。

そうすると、控訴人の債務不存在を求める本訴請求は理由がある。

二  被控訴人らの反訴請求(損害賠償請求)について

1  本件事故が発生したことは、当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証、同第一〇、一一号証、原審における控訴人、被控訴人洋士、原審及び当審における被控訴人高寛各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(一)  控訴人は、本件事故当日、オートマチツク車である加害車の助手席に妻を、後部座席に二人の子供を乗せ、兵庫県加古川市加古川町河原二〇九―一番先の県道加古川・小野線を大川町方面から河原交差点に向け進行中、進路前方に被控訴人高寛運転の被害車が七、八台の先行車に続いて右交差点の信号に従い停車したので、その後方約一・六メートルの地点にフツトブレーキを踏んだ状態で加害車を停車させたところ、後部座席の子供らがけんかを始めたのに気をとられ、後方に振り向いた途端、フツトブレーキから足が離れ、加害車が自動的に前進して(オートマチツク車のクリープ特性に由来する。)同車前部バンパーを被害車後部バンパーに追突させた。

(二)  本件事故当日、被害車には、被控訴人高寛が運転席に、同人の兄である被控訴人洋士が助手席に、被控訴人らのおじである松本夫婦が後部座席に乗つていて、被控訴人らは、加害車から追突されたとき、被控訴人高寛がハンドルを握り、被控訴人洋士が背もたれをやや後方に倒していたほかは、いずれもごく普通の姿勢でそれぞれの座席に座つていた。

(三)  本件事故後行なわれた実況見分の結果、加害車の前部バンパーには軽微な凹損が、また、被害車の後部バンパー中央付近にはわずかに大豆大の凹損がそれぞれ認められた。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  そこで、被控訴人ら主張に係る傷害の存否ないし本件事故との因果関係について判断する。

(一)  まず、本件事故によつて被控訴人らが受けた衝撃の程度等について検討する。

(1) この点に関し、否控訴人高寛は、原審における本人尋問において、追突されたとき、ドーンという大きいシヨツクを受け、被害車が少し前方に動き、体も前方にいつたん出ていつたのち、後方にもどりその際頸部を座席に打ちつけた旨、また、被控訴人洋士は、原審における本人尋問において、追突されたシヨツクで体が尻から浮き上がつて前方に動き、直ぐ後方に戻つて腰部と首とを座席で打つた旨それぞれ述べ、さらに、被控訴人高寛は、当審における本人尋問において、追突直後被害車後部と加害車前部との間隔は一メートル位あつた旨述べて、追突時の衝撃が大きかつたことを強調している。

(2) しかしながら、前記甲第一〇号証、当審証人林洋の証言によると、

(イ) オートマチツク車である加害車がクリープ特性により自動発進して、一ないし二メートル進行したときの時速は、三・〇ないし三・八キロメートルにすぎないこと、

(ロ) 加害車に大人二名、子供二名が乗り時速三・八キロメートルで大人三名の乗る被害車に追突したときに被害車に生じる衝撃加速度は〇・三三gであり、本件事故当時のように被害車に前示のとおり大人四名の乗員があつたとすれば、右加速度の数値は〇・三三gをさらに下廻ることが自動車工学上の計算式から明らかであること、

(ハ) 人体の頸部に加わるトルク(回転モーメント、ねじりモーメント)の無傷限界値は前屈六五ft―1b、後屈三五ft―1bであり、また、頸部を前後方に傾ける場合の屈曲角の限界値は前屈六六度、後屈六〇度であつて、これ以上のトルクが頸部に作用し、過屈曲が生じた場合はじめて、頸椎捻挫(いわゆる「むち打ち症」)が発症することが実験研究により明らかにされているところ、本件事故に際し、被害車に生じた前記(ロ)程度の加速度では、その乗員の頸部に加わるトルクは最大でも〇・五ft―1bにすぎず、後屈角も一六度にとどまるから、右乗員に頸部に過屈曲を生じることはあり得ないこと、

(ニ) 〇・三三g程度の加速度は、自動車を普通に運転走行するときでも知らない間に日常的に繰り返して経験しているごくありふれた程度のものであること(強いブレーキをかけた場合の〇・五五g及びオートマチツク車の急発進時〇・四五gを大幅に下廻るものである。)、

(ホ) なお、本件事故のような追突事故の場合、追突される被害車両の乗員の身体は、物理学上の慣性の法則により、まず、後方に押しつけられるようになるもので、前方に動くことはあり得ないこと

以上の事実が認められるほか、前記1で認定した追突時の被控訴人らの姿勢、加害車・被害車の損傷の部位・程度、さらに被害車に追突したとき控訴人の妻、子供らもそのままの状態で衝撃もほとんど感じなかつた旨の控訴人の原審における本人尋問での供述を併せ考えると、本件事故により被控訴人の受けた衝撃は、通常の方法で運転している自動車に乗車している者であつても、知らないうちにしばしば受ける程度の極めて軽微なものであつて、被控訴人らは、その身体とりわけ頸部に衝撃を受けていないか、もし受けていたとしてもごくわずかなものであつたと認めるのが相当である。

(3) したがつて、被控訴人らの前記(1)の各供述は、追突時の身体の動きについて前記法則に反し全く逆の動きを述べているなど全体として虚偽と誇張の混在したものというほかなく、到底信用することができない。

もつとも、被控訴人高寛は、当審における本人尋問において、追突時の身体の動きについて前記原審供述を変更し、追突されたとき急に頭部が後方に振れた旨述べるけれども、右供述の変更につき何ら合理的な説明をなしていない以上、変更された供述部分がまず真実の体験者なら取り違えたりすることがあり得ない事柄に関するものであることを考慮すれば、極めて不自然であるというほかなく、結局右当審供述もにわかに信用することができない。

(二)  次に、被控訴人らが本件事故により被つたと称する傷害について検討する。

(1) 成立に争いのない甲第三、第四号証、乙第五ないし第八号証、原審における被控訴人洋士本人尋問の結果により成立の認められる同第一ないし第三号証によると、被控訴人洋士は、かねて入院中の山崎外科胃腸科医院で、本件事故の翌日である昭和五八年七月四日及び同月一四日診察を受け、さらに同年八月三日から同年一一月二五日まで永野外科医院に通院(実治療日数は三七日)し、治療を受けたこと、傷病名は、山崎外科胃腸科医院では頸椎捻挫とされ、永野外科医院では当初から頸部挫傷とされていたが、右通院最終日の一一月二五日付の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書においてはじめて腰部挫傷も追加されるに至つたことが、また、成立に争いのない甲第五ないし第七号証、丙第一ないし第六号証によると、被控訴人高寛は、永野外科医院に昭和五八年七月一一日から同年一一月四日まで通院(実治療日数四三日)し、次いで同月五日から昭和五九年一月一八日まで入院し、さらに同月一九日から同月二四日まで通院(実治療日数二日)は、治療を受けたこと、傷病名は頸部挫傷とされていることがそれぞれ認められる。

以上の事実からすれば、本件事故により被控訴人らが右各傷病を負つたごとく見えないではない。

(2) しかしながら、被控訴人らの前記各病院における治療経過、各症状の推移等をみると、次の事実が認められる。

(イ) 被控訴人洋士については、前記甲第三、第四号証、乙第三号証、原審証人永野博章の証言、原審における被控訴人洋士本人尋問の結果によると、被控訴人洋士は、昭和五八年五月ころから急性肝炎を患い山崎外科胃腸科医院に入院していたこと、本件事故当日は許可を受けて外出していたもので、同医院の山崎医師に対し、本件事故の翌日である同年七月四日には弟運転の車で外出中追突されて首が重たい旨を、同月一四日にはだんだん首が痛くなつてきた旨をそれぞれ訴えたこと、同医師は、七月四日何らの検査、治療も行なわず、経過観察とし、同月一四日も頸部のレントゲン検査をしたが頸椎に骨折も見られないため、軽度のむちうち状態とし、投薬したにとどまつたこと、被控訴人洋士は、その後は同医院で診察、治療を受けることもなかつたが、退院後の同年八月三日には永野外科医院に赴き、永野医師の診察を受け頸部痛を訴えたこと、同医師は、頸部に圧痛もなく、レントゲン検査でも頸肋(後述)が認められただけで格別の異常はなかつたけれども、同年七月五日停車中後方から乗用車にあてられたということであつたので、頸部挫傷と傷病名を付したこと、その後被控訴人洋士は同年一一月二五日まで同医院に通院し、この間頸部けん引療法、薬物の投与を受けたが、最後の一一月二五日の診察では、頸部痛、起立時の腰痛、右手指に力が入らない、右中環小指のしびれ感、頸痛など多彩な症状を訴えたこと、そこで、同医師は、腰部についてはそれまで全く検査も、治療も行つていないのに、右愁訴があつたことから、頸部挫傷のほかに、腰部挫傷も負つたものとして傷病名を追加し、自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙第三号証)を作成したものであること、なお、頸椎に認められた右頸肋は、先天性のものであり、事故とは無関係にむち打ち症状と同様の症状を惹起することがよくあること、以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(ロ) また、被控訴人高寛についても、前記甲第五ないし第七号証、丙第六号証、原審証人永野博章の証言、原審における被控訴人高寛本人尋問の結果(後記信用しない部分を除く。)によると、被控訴人高寛は、同年七月一一日永野外科医院に赴き、永野医師の診察を受けたが、その際被控訴人高寛は頸部痛を訴え、同医師は、頸部のレントゲン検査でも異常はなかつたけれども、同年七月五日停車中後方から乗用車にあてられ、二、三日後から頸部痛があつたということであつたので、頸部挫傷との傷病名を付したこと、その後被控訴人高寛は、通院を続けていたが、初診時より入院を希望していたため、格別症状が悪化したわけでもないのに、空室の出来た同年一一月五日同医院に入院したこと、ところが、右入院期間四六日のうち二一日も外泊するなど療養態度に問題があり、昭和五九年一月一八日同医師から退院させられたこと、それにもかかわらず、同医師は、同年二月二二日付で作成した自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書において「始め通院加療をなすも症状増悪一一月五日より入院」と付記したこと、以上の事実が認められ、右認定に反する原審における被控訴人高寛本人尋問の結果は前記各証拠に照らし致底信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によると、前記(1)認定の被控訴人らの各傷病名のうち、被控訴人洋士の頸部捻挫、頸部挫傷、被控訴人高寛の頸部挫傷は、いずれも一応は被控訴人らが初診時から訴えていた愁訴に基づくものであるけれども、他覚的所見と目すべき資料は何らなく、また、被控訴人洋士の腰部挫傷は他覚的所見によるものでないことは勿論、当初からの訴えによるものでもない上、本件事故後およそ五か月を経た最終診察時点における腰痛の主訴のみに基づくものにすぎないことが認められる。

したがつて、被控訴人らの各傷病中頸部に関するものはしばらく措くとしても、被控訴人洋士の腰部挫傷の傷病は、右認定の治療経過や診断時点から考えても、また、前記(一)で認定、説示した追突時の態様、衝撃等に照らしてみても、本件事故によつて生じる可能性はないものといわざるを得ない。

(3) そこで、前記頸部に関する傷病が本件事故によるものか否かについてさらに検討する。

(イ) まず、前記(一)で述べたとおり、本件事故により被控訴人らが受けた衝撃は普通に自動車を運転して走行する場合でもしばしば体験する程度の極めて軽微なものであつて、被控訴人らは頸部に全く衝撃を受けていないか、ほとんど衝撃を受けていなかつたと認められ、また、本件事故当時被控訴人らは不自然な体位をとつていたわけではなく普通の姿勢をとつて座つていたと認められるのであるから、この程度の衝撃で、頸椎捻挫、頸部損傷等いわゆるむち打ち症の発症原因である頸部の過屈曲を惹起するとは考えられないといわなければならない。

(ロ) また、被控訴人洋士は、原審における本人尋問において、本件事故の翌日の夕方ぐらいから肩と首がつつたようになり、永野外科医院へ通院中も首の突張り、それに昭和五八年八月ころから腰痛がひどく、現在一番つらいのは腰痛でひどいときは歩けない旨供述し、また、被控訴人高寛は、原審における本人尋問において、当初首、肩、頭がいたく、そのうち吐気もしたので病院に行つたもので、その後通院していたが入院一週間前から食べたものをもどし、痛みもひどくなつたので医者から入院せよと言われて入院し、その後痛みはあつたものの自発的に退院した旨供述していて、被控訴人らが原審において自覚症状であるとして述べているところと、前記各医師に対する愁訴の内容とが必ずしも一致していないし、また、被控訴人高寛の入退院の経過につき述べる部分は、前記(2)の(ロ)で認定したところに照らし虚偽であり入院治療の必要性がなかつたことが明らかであるから、被控訴人らの愁訴ひいては受傷そのものにも疑問が残るといわざるを得ない。

(ハ) さらに、成立に争いのない甲第二号証、原審における控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人らは、本件事故当日の夜、控訴人を山崎外科胃腸科医院駐車場に呼出して被害車の損傷の確認をさせた上、早くも翌七月四日には、被控訴人高寛及び松本において、控訴人に対し、被害車を新車に買い替えるよう要求したこと、これに対し、控訴人は、同月五日ころ右医院に赴き、松本に対し、右要求には応じられない旨返答したところ、被控訴人らから呼び出され、あるいは電話で、右補償を執拗に求められ、ついに同年八月七日被控訴人らに対し三五万円の支払を約し、同月三一日右金員を支払つたことが認められ、これに前記1の(三)で認定した被害車の損傷状況を併せ考えると、被控訴人らが控訴人に対し本件事故直後から法外な賠償を求めて行動していたことがうかがえる。

以上の諸点のほか、山崎外科胃腸科医院のカルテ(前記甲第三号証)が極めて簡略で、症状の経過等の記載もなく、また、永野外科医院のカルテ(前記甲第四ないし第七号証)も初診時の検査とその後の処置・投薬の記載はあるものの、その後の入通院中の症状の推移、所見等について全く記載がないことをも併せ考えると、被控訴人らは各医師に対し本件事故による衝撃によりむち打ち症になつたと装つて前示のような内容の愁訴をなしたものであり、他方、医師の側でも、何ら他覚所見がないのに、右愁訴をそのまま鵜呑みにした結果、前記各傷病の傷害を負つた旨誤診し、しかも永野医師は被控訴人らの愁訴に応じ漫然と同種治療を継続していたといわざるを得ない。

(4) 右(1)ないし(3)で検討したところからすると、被控訴人らに前記各傷病があるとの診断があつたとしても、右診断の前提となつた被控訴人らの愁訴自体に誇張と虚偽が存しその真実性に強い疑念が存し、ひいては診断そのものに疑問があることが認められるから、右診断のみによつて被控訴人らが本件事故により受傷したとの事実を認めることができないというほかなく、他に、被控訴人らの右受傷の事実を認めるに足りる証拠はない。

8 そうすると、被控訴人らの反訴請求は、いずれもその余の点について判断するまでもなく、理由がないことは明白である。

三  以上によると、原判決中控訴人の債務不存在確認を求める本訴請求を棄却し、被控訴人らの各損害賠償を求める反訴請求の各一部を認容した部分は失当であるから、本件控訴に基づき原判決主文第一項を変更し、同主文第二ないし第五項中控訴人敗訴の部分を取消すこととし、民訴法三八六条、八九条、九二条、九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 今中道信 仲江利政 佐々木茂美)

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